第15回カンファレンスのテーマと基調講演

続いて、今回のカンファレンスの様子をレポートします。

今年のカンファレンスは、Journey from Coaching Competence to Wisdom(コーチングの能力からコーチングの叡智への旅)というテーマで開催されました。
「コーチングという人類の叡智をもって、コーチングに携わる私たちは、世界にいかにポジティブなインパクトをもたらすのか」という問いが、2日間で行われた12の基調講演において軸となっていました。

基調講演には、ポジティブ心理学の父、マーティン・セリグマン氏、「グッド・ライフ 幸せになるのに、遅すぎることはない」の著者でありハーバード成人発達研究所の所長・ロバート・J・ウォールディンガー氏、リーダーシップ・組織学習の研究者であり、心理的安全性で有名なエイミー・エドモンドソン氏など、世界的に有名な研究者や医療従事者の方々が登壇されました。

ここでは、一部の講演の内容について紹介いたします。

なお、基調講演の動画は、IOCの会員になることで視聴が可能です。

1日目の基調講演

基調講演タイトル スピーカー
Tomorrowmind: Coaching for the Whitewater World of Work
トゥモローマインド:激動の仕事のためのコーチング
Kellerman, Gabriella
ガブリエラ・ケラーマン
Building Trauma Informed Organizations and People: Why Healing Must be the Way Forward
トラウマに配慮した組織と人材の構築:なぜ「癒し」が求められるのか
Moreland-Capuia, Alisha
アリーシャ・モーランド=カプイア
Positive Psychology and Coaching Past, Present, & Future
ポジティブ心理学とコーチングの過去、現在、そして未来
Seligman, Martin
マーティン・セリグマン
Challenge Your Growth: Developmental Coaching to Foster Healthcare Professionals
成長への挑戦:医療専門家の育成のための発達的コーチング
de Pagter, Anne
アンネ・デ・パグター
A New Role for Coaching: "Midwife for Midlife Wisdom"
コーチングの新しい役割:「ミドル層の智慧のための助産師」
Conley, Chip
チップ・コンリ―
Ragtime: The Mind and Music of Scott Joplin
ラグタイム:スコット・ジョプリンのマインドと音楽
Kogan, Richard
リチャード・コ-ガン

2日目の基調講演

基調講演タイトル スピーカー
The Wisdom of Constructive Communication for Navigating Relationships in Tough Times
時代の人間関係を乗りこなす建設的コミュニケーションの智慧
Stephens, John Paul
ジョン・ポール・スティーブンス
What Actually Makes Us Happy? Lessons from an 85-Year Study of Life
何が私たちを幸せにするのか?85年にわたる人生研究からの教訓
Waldinger, Robert J.
ロバート・J・ウォルディンガー
Unlocking Growth Through Intelligent Failures: The Strategic Advantage of Embracing Fallibility
インテリジェントな失敗を通じて成長を解き放つ: 失敗を受け入れる戦略的優位性
Edmondson, Amy
エイミー・エドモンドソン
Climate-conscious lifestyle: Are you in need of a makeover?
気候に配慮したライフスタイル: そのイメチェン、必要ですか?
Johnson, Mary Margaret
メアリー・マーガレット・ジョンソン
Brain Energy: Lifestyle Interventions for Mental Health
ブレイン・エナジー:メンタルヘルスのためのライフスタイルへの介入
Palmer, Christopher
クリストファー・パルマー
The Power of Wisdom in the Age of AI
AI時代の智慧の力
Gordhamer, Soren,
Conley, Chip

ソーレン・ゴードハマー/チップ・コンリ―

(1日目)
トラウマに配慮した組織と人材の構築:なぜ「癒し」が求められるのか
アリーシャ・モーランド=カプイア氏
Building Trauma Informed Organizations and People: Why Healing Must be the Way Forward by Moreland-Capuia, Alisha

初日に行われたアリーシャ・モーランド=カプイア医師による講演は、「安全を感じられること、つながり、マタリング(自分が意味のある存在であると感じられること)、帰属感」に関する内容です。神経科学的研究に基づく知見だけでなく、実践知も豊富に紹介されました。

アリーシャ・モーランド=カプイア医師について

マクリーン病院/ハーバード大学の「トラウマに配慮したシステム変革研究所(trauma-informed systems change)」の創設者兼ディレクター。ハーバード大学医学部精神医学助教授、オレゴン健康科学大学医学部精神医学臨床准教授。
Fortune100企業、医療、非営利組織、教育をはじめ、国際政府・州など、250以上の組織等に対してトラウマに配慮した実践やシステム変革のトレーニングを行っている。

キーメッセージ

  • トラウマとは、(トラウマのタイプに寄らず)恒常的な恐れやストレスのこと。特定の誰かが抱える問題ではなく、誰にでも起こりうるものであり、また防ぎうるもの。
  • トラウマは、脳にダメージを与え、DNAとして次の世代に引き継がれていくが、その癒しも同様に次世代に引き継がれる。
  • トラウマは、外的脅威に対して、適応するための内的・外的リソースが不足しているときに生じる。つまり、神経生物学的に孤立した状態(孤独)がトラウマを引き起こす。
  • 「思いやり(Compassion)」は、向けられた人にとって有益であるだけでなく、その人自身にとってよりインパクトがある。
  • トラウマに配慮した人となり、社会的な安全を実現するためのシステム変革に取り組むには、「成功」ではなく「熟達」を目指す必要がある。

「トラウマ」と聞くと、深刻な体験をした人や特定の社会的集団にのみ関係することのように感じられるかもしれません。しかしモーランド=カプイア医師は、そうした状況に限らず、日々の人間関係における疎外感や、組織における孤立なども、トラウマ(恒常的な恐れとストレス)を引き起こすと語ります。ただ、思いやりやつながりなどによって人が安全を感じられる状態をつくることで、そうしたトラウマを防ぐことができるとも言います。

人は常に「安全」を測っています。脳の構造として、人は自分が安全か、自分は愛されているのか、これらを確認してからでないと、人を愛し、能力を発揮することができません。安全が確保されない時(身体的リスクだけではなく、「孤独」や「疎外感」を含む)、脳は重大なダメージを受けます。

疎外感を感じる時に反応する脳の部位は、骨折した時と同じで、実際に「痛み」を感じます。また、人はたった「3分間」でも疎外感を感じると、その時の脳のダメージは、半年後にも、1年後にも消えずに残るだけでなく、次の世代にも引き継がれます。

ただ、それと同時に、その傷の癒しも次の世代に引き継がれます。モーランド=カプイア医師は、だからこそ、癒すことのできるシステム、つまりトラウマに配慮した仕組みが必要なのだ、と説きます。システム=トラウマに配慮した仕組みとはつまり、人が心理的、経済的、身体的、そして精神的に安全を感じられる仕組みです。

講演では、感情労働者である医療従事者・コーチに向けて、Compassion Fatigue(共感疲労)についても触れられました。共感疲労は、二次的トラウマ(トラウマ体験をした人の話を聞いたり、状況を見ることによって生じるトラウマ)でもあり、肉体的な疲労だけでなく、魂(Soul)の疲労と言われます。

ただ、Compasssion(思いやり)は、それを向けることで二次的トラウマを経験する可能性がある一方で、送り手と受け手の双方に非常に良い影響をもたらします。お互いがより健康になり、精神的症状や心配事が減り、反芻思考も減り(反芻思考は鬱と関連があると言われる)、孤独感も少なくなるのです。

モーランド=カプイア医師は、人間は、独立、依存、共依存する存在ではなく、相互に依存する(支え合う)存在であると言います。
より関係を深め、人とつながり、相手のことを知り、また「あなたの話を聞いています。あなたの体験はとても意味がある」というメッセージが日々相手に伝わるような関わりをすることが、トラウマの回避や癒しにとって重要です。医療従事者やコーチには、こうした思いやりや愛をもった関係を築く、意味深い仕事をする機会に恵まれている、そして、周りの人々が同じように取り組むのを助ける機会があるのだ、とモーランド=カプイア医師は主張していました。

講演の終盤では、私たちがこのように他者とのつながりを育む人となり、社会全体として安全を実現していくためには、一回の「成功(Success)」を目指すのではなく、「熟達(Mastery)」を目指すマインドセットへと、転換する必要があるとの話もありました。熟達を目指す過程には、必ず失敗がある、その失敗を受け入れるマインドセットが私たちには必要だと言います。社会的な安全をもたらすあり方や仕組みの構築に求められるのは、「完璧」であることではなく、「完全なコミットメント」だと、強く主張していました。

IOCはこれまでも複数回、カンファレンスやウェビナーでトラウマを扱っています。今回のモーランド=カプイア医師の講演は、そうした流れを汲みながらも、私たちの日常にさらに近い存在としてトラウマを見直す機会を提供していました。トラウマを予防し癒すためには、人の思いやりや関係が非常に重要な意味を持つという視点は、領域や立場に関わらず、いかに人と向き合うかという、本質的で普遍的な問いを投げかけていました。

(2日目)
「AI時代の智慧の力」
ソーレン・ゴードハマー氏/チップ・コンリー氏
The Power of Wisdom in the Age of AI by Gordhamer, Soren and Conley, Chip

2日目の最後に行われた基調講演のテーマは、AI/テクノロジーとこれからの人間のあり方についてでした。ゴードハマ―氏のプレゼンテーションに続き、彼の友人でもあるチップ・コンリー氏との対談形式(モデレーター:ジェフリー・ハル氏、マーガレット・ムーア氏)で、これからの時代の智慧とテクノロジーについて語られました。

ソーレン・ゴードハマー氏について

事業家・作家・思想家。古代の智慧を現代生活に応用する方法を探求している。Wisdom 2.0カンファレンスの創設者兼ホストを務め、カンファレンスでは、テクノロジー界のリーダーと、智慧の伝統を持つ人たちを一堂に集めて、私たち自身、社会、そして世界に利益をもたらすように現代の優れたテクノロジーを活用できるかを探求した。

チップ・コンリー氏について

ベストセラー作家・事業家・経営者。ホテル業界で二度の起業を経験するとともに、airbnbのグローバルホスピタリティ兼戦略担当として、旅行業界の世界的な革命を牽引した。2018年にはModern Elder Academy(中年期の知恵の学校)を共同設立し、中年期の再ブランディング、可能性の拡大に積極的に取り組む。
今回のカンファレンスでは、初日にはミドル層(今やミドル層は20代後半から70代までを指す)の智慧について活気ある講演を行った。

キーメッセージ

  • AIは、この先あらゆることを可能にする。ただし、思いやることや愛することはAIでは実現されない。
  • テクノロジーが加速すればするほど、人間は、孤独、欠乏感、恐れに苛まれる。私たちは、自分自身と自然ともっとつながっていく必要がある。
  • 私たちは、智慧、人間性、思いやりをもって、賢く意図してテクノロジーの強大な波をうまく管理し活用していくことが必要である。
  • コーチングは、人々が自分の内面を見、自分自身や自然界とつながることをサポートする仕事だ。今より一層、今後必要とされる仕事になるだろう。
  • コーチとして、人生に、クライアントに、もっと智慧を持ち込める(賢明になる)ようになるためには、何ができるだろうか。

この講演は、「iPhoneは、オンラインのコミュニティを活発にすることで孤独を減少させることが期待された。しかし現実は逆だった。SNSは隔絶をもたらし、人々は精神的なつながり(スピリチュアルコネクション)を渇望している」という話からスタートしました。

日常的なコミュニケーションがSNS上で行われる現代は、数字(Likeの数やフォロワー、コネクションの数など)によって人が評価され、人々は周囲と自分を比較し、より大きな数字を渇望していると言います。

テクノロジーの発展は、これまでにあらゆることを可能にし、この先もその可能性は加速度的に拡大していくと考えられています。一方で、テクノロジーは、人を思いやったり愛したりすることはありません。人と人との間に緊張状態を継続的に生み出し続け、その結果、今日の世界は、かつてないレベルで孤独、欠乏、恐怖が蔓延する世界になっていると言われています。

では、あらゆることを可能にしうるテクノロジーと、私たちはどう向き合っていくべきなのでしょうか。

その問いに、ゴードハマー氏は、私たちが自分自身とつながり、自然界とつながることが必要だと強く主張します。自分の内面にこそ人間性があり、思いやりがあり、智慧があります。だからこそ数字や外の世界に答えを求めるのではなく、自分の内面を見ることこそが大切です。私たちの智慧をもって、この世界を生き、そしてテクノロジーを管理して活用することが、強く求められています。

自分や自然界とつながることや、智慧をもって生きること。コーチングはこうしたことを、可能にする仕事だとゴードハマー氏は言います。だからこそ、これまで以上に世界に必要な仕事になっていくのだとも語っていました。

対談では、コンリ―氏からこれからの時代の「賢明なリーダー」(Wise leaders)についても触れられました。

人々が敬意を払う賢明なリーダーの性質は、人間性であることが分かっているというデータも示されました。ここで言う人間性とは、Present(その場に存在する、心を寄せる)であり、Observant(観察力がある)であることを指します。

自分の内なる声に耳を傾け、相手の話をよく聞き、集団全体の声にも耳を傾けることができる、このような自他への関わりができるリーダーが、求められていると言います。

かつてピーター・ドラッカーは、新しい時代の労働者を「ナレッジワーカー(知識労働者)」と呼びました。それから今日まで60年以上、私たちはナレッジワーカーの時代を生きてきました。ただ、この先の時代は、我々は「ウィズダムワーカー(智慧ある労働者)」になっていくべきだ、とコンリ―氏は説きます。組織や社会の中に起こるプロセス・ダイナミズムを理解することができ、かつこれまでの組織・社会での習慣や蓄積と、未来の方向性を融合させていくことができる人が、これからの時代に必要だと強く主張されました。